里帰りした話

いろいろ事情があって、ばーばの家ではなく大叔母さんちにお世話になってます。親戚付き合いのない我が家だから、おばさんちに妹夫婦が来たり、姪っ子親子が来たりと、にぎやかなこの家がうらやましい。
人付き合いって難しいのよ。
わたしが人付き合い好きでお節介焼きなのは、両親の影響。反面教師。両親は、人に関心がない人達だった。それを見て私は育ったから、きっとお節介も焼くし、話するのも大好きだったんだと思う
親戚の話、兄弟の話、旦那さんの話。
お風呂上がってから2時間くらいずっと人付き合いの話。他人事じゃだめなのよ、なにごとも。周りに人がいて、困ってたら助けたくなるのは、きっと誰でもそうなんだけど、その気持ちがすこし強いだけだったんだって。
新庄に久しぶりにちゃんと来て思ったのは、わたしの原点が、新庄にはたくさんあるってこと。何もなくて不便だけど、たくさんの気持ちに恵まれてる。不便ってわるいことじゃない
あとねー、ほんとおばさん優しくて面白くて競馬好きでおしゃべりですき。ほんとこの人がおばあちゃんだったらなって思うくらいすき
この人亡くなったらわたし本当にショックで立ち直れないくらいすき
突然両親が亡くなったら、ってはなししてたけど、いくら憎まれててもつらいものはつらいよなあ。血の繋がりって憎めないよなあ

いいものはいい、いやなものはいや、
ってちゃんと言えないとだめだなあ

シューカツ。その27

相手のせいにした瞬間、自分は伸びなくなる、らしい。

人に想いを伝える仕事がしたいよー代弁できるような職につきたいんだよーって思ってたこともあった。

プロセスが評価される世の中じゃないけど、上手い下手ではなくて、どれだけそれに向かって走れるか、熱意があるか、想いを伝えられるか、、、、

渡辺直美がインスタでliveしてて、
ポジティブな人なんているのかな、みんな明日大丈夫かな不安だなとか、そういう何かしらネガティブな事は思ってて当然だし普通。むしろポジティブな人って空気読めなくて残念な人多い。って言ってたの。
なんだ、ネガティブなの自分だけじゃないんだなって。 

それだけが自信につながったわけじゃないけど、就活ですんごい落ち込む事とか、周り見てすごく焦ったりとか、悩んだりあるけど、周りよりも『仕事をする上で自分がどうしたいか、自分が何をしたいか』が重要なんだよって、ウサギとカメの話を聞いて改めて感じた。だから妥協していいとかではないけど。

今日も弱点たくさん見つかって、世の中には出来る人たくさんいて、でもその中で自分は何が得意だろう・したいだろうって考えた時に、胸を張って言えるようになりたいなって本気で思った。自分がかっこいいなって思える大人になりたいなって思った。  

急がなくてもいいし、就活してる間に答え出さなくていいし、ゴール見つけることが全てじゃないって言ってもらえてすごく気楽になったし、鎧が溶けて身軽になったような気分だけど、噛みしめると恥ずかしい。そんな自分をちゃんと出せる企業で、そんな自分を見てくれる企業に出会えたらなあって思ってた。

けどうまくはいかなくて。

100パーセント納得出来る結果ではないけれど、頑張ったのは多分事実。たぶん。

だからわたしは、みんなが皆、すごく頑張ってるのもわかるし、頑張らなきゃいけなくて努力しなきゃいけないのもわかる。けど、虚勢はらなくなっていいし、自分だけが取り残されてるんじゃないかって思ってる人を支えられる人になりたいっておもう。
気持ちがわかる、じゃなくて、寄り添える人に。

優しいだけが優しさじゃないと思う

優しさってなんなんですかね

気持ちっていうのはカタチのないものなんですが、それが表情だったり目に見えるモノに変わるわけです。

今回は、「優しい」という気持ちに特化して話すんですけど。優しいってどういう気持ちでしょうか

優しい人、例えば好きなタイプで挙げられたりしますね。さて。なにをすれば優しいとみなしてもらえるのでしょうか。

 

その時の気持ちとか、感情とかを形成してるのって環境や好きなものだったりするわけで。ふとした瞬間に好きって思ったものは、信じちゃうから、きっとすぐには嫌いになれない。

趣味も、恋愛もたぶんそんな感じ。

 

しょこたんは、ことばを信じること人を信じることの強さを教えてくれた。あらゆる言葉を、興味を持つことの尊さを教えてくれた。多趣味でもいいじゃん!浅くたっていいじゃん!って教えてくれたのはしょこたん。アニソンの強さを教えてくれたのもしょこたん

 

きれいな言葉やメロディー、生きる強さを教えてくれたのはYUI。世界は1人に見えたけど、同じこと思ってる人は沢山いるって教えてくれたのはYUIの歌だった。

 

わたしの青春、音楽の楽しさ、面白さ、ライブの楽しさ、音と言葉の魔法を教えてくれたのは、Base Ball Bear。歌われた言葉や、不思議な言葉の言い回しも、メロディーとの交わりを深く考えたし、化学性を感じたのはこいちゃんの影響。

 

いつだって、これらを信じた、好きだったことは事実だし、私を形成したのも事実。

じゃあ、『優しさ』ってなんだろう。

シューカツ。その26

変なプライドがあるんです。なんか、自分はまだまだこんなんじゃない、みたいな。自意識過剰というか。

自分の闇は、ちゃんと光で照らして確認しないと自分の中でも消化不良起こす。

もう何やってんですかね。妥協とかってワード嫌いだったのになあ。

さよなら

聴く度に愛が溢れて、届かない想いと、その愛の深さに、どっぷり浸かってしまう。
その儚げな声に、吸い込まれてゆく。心の奥底の、弱い自分をすっと、刺されたような気持ち。あー、ライブいきたいなあ

 

きのこ帝国 愛のゆくえ

 

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シューカツ。その25

わたしは家族コンプレックスです。

一重で大きくない目も、エラが張ってて嫌だなと思う輪郭も、腫れぼったい唇も、身長が低いことも、全部コンプレックスだけど

一番は、家族との関係です。

わたしは生まれてから今までたぶん、褒められたことがないです。習字が市の展覧会に出品されても、部活で賞獲っても、勉強で一番になっても、褒められたことはありませんでした。

なにを頑張れば、褒めてもらえるんだろう。それが今まで私の行動のほとんどのモチベーションだったような気がします。

そのコンプレックスを助長させたのは、妹の存在です。妹は不器用すぎてあんまり物事を要領よくこなせません。ですが、なにか出来ると褒められるのはいつも妹でした。私の方が同じことをやってもうまく出来るのに、私の方が手伝いたくさんしてるのに。

お前はやって当然、妹はやると褒められる。

器用貧乏なんです、今もそうですけど。悔しくて、悔しくて。なんで褒められないのかわからなくて。

逆に今度は、友人や先輩に褒められると嬉しいけど、どういう対応して良いかわからなくなりました。ありがとう〜とは言うけれど、恥ずかしくて。褒められると嬉しいのに、なんかもっと頑張らなきゃって焦って。結局、褒められても頑張らなきゃって焦るんです。褒められない時と一緒。

やっぱり一番褒められたいのは両親なんだなって。いつもお前は全然だめだから…いや、わたしは見えないところで毎日勉強して、自己分析も頑張って、毎日面接したり説明会行ったりして持ち駒増やして、、、

認めてもらえないし、やったらやったでお前はもっと出来るんじゃないの?とか言って。

何も見ないでやってないなんて言わないでくれ、少しは認めてくれ。早く家から出たい