普通 / 特別 の話。

普通ってなんだ。

毎日、多くの人が、常識的に、その場にある/いる/有り得る ことが普通なのか。普遍的、とかっていう言葉もあるしね。そうなのかもしれない。

よく「普通であることが、こんなに素晴らしくて、儚かったんだ」みたいな懐古も見る。その通りだと思う。常であることは難しい。維持するということは、留まることではなく、下りエスカレーターを上り続けることだから。

特別ってなんだ。

いつもあるものとは違う、突然、なにか目新しかったり、変化が生まれた瞬間だったり。実は、普通という条件より「特別な瞬間」は生まれやすいのかもしれない。

別に、特別である必要は無い。「普通」という世界から、わざと目立って生きる必要などないのだ。でも特別扱いされると、何故か嬉しかったり、何故か恨めしかったり、何故か苦しかったりするのだ。

なぜなのだ。

人は、特別を好む。なのに、普通であることが難しいなどと言う。普通がいちばんだと言ってみたりする。これは矛盾だ。何が言いたいんだ。

私は胸を張っていくぞ、自分の好きな道を進むと。それが、普通だろうが、特別だろうが、わたしのモノサシで測り続けるから。

わたしにとっての「普通」「特別」

もちろん、一般的に、モラル的に。わかるよ。だって、非難はされたくない。苦しみたくない。人間だもの。そこをはみ出ないくらいの感覚で。

私の信じるわたしでいたいのだ。

でも。ごめんなさい。だれかの特別でありたいって思うよ。承認 / 肯定 してくれよ。